「防災のために設備をどれだけ用意するかは、『安全・安心の価値』がいくらなのかという話だと思います。国によっても設備投資はさまざまで、事故が発生しているのに何もやらない国もある。もちろん、日本のように人や街、施設を守るために山間部などにフェンスを設置する国もあります。私たちの仕事は、起きるかもしれない事故に対して、どれだけ未然に防げるかを問われているのです」
こう話すのは、ベルテクス株式会社 斜面防災事業部 取締役執行役員事業部長 小林大志氏だ。ベルテクスは、下水道や道路インフラ設備、鉄道関連事業などを手掛ける企業。同社の中核事業には斜面防災事業があり、小林氏はそのなかでも「フェンス」を手掛ける。
おそらく、筆者に限らずフェンスへのイメージは「落石を防ぐもの」という程度の認識を持っている人が大半だろう。ただ、小林氏の話を聞いていくと、フェンスこそが日本を守る重要な役割を担っていると再認識させられた。
フェンスは事故が起きる前に設置される
フェンスとひとくくりにしても、その用途は千差万別だ。
「フェンスは、その用途によってさまざまな種類があります。ベルテクスでは、自然斜面の保護に特化したフェンスを提供していますが、野生動物の侵入を防ぐ目的で設置されるフェンスもあります。
自然災害から守るためのフェンスのなかでも種類はさまざまで、『道路際』『民家際』『道路上の斜面の中腹』『民家上の斜面の中腹』など設置する場所や環境、そして何を防ぐのかによって使われるフェンスは異なります」
では一体フェンスは誰がどのように選んで設置しているのだろうか。
「何からどこを守るのかを決めるのは役所(行政)です。防護対象を決めて、そこから調査や設計のコンサルタントが入り、『フェンスが必要だ』となったら、弊社ベルテクスなどのメーカーに問い合わせがくる、という流れです」
先にも記載したが、ベルテクスが提供しているフェンスは主に道路や民家に対して落石や土砂がぶつからないようにするためのものだ。そのため、山間部等からたとえば落石被害が“起こりそう”もしくは“被害を防がなければいけない”ケースにベルテクスのフェンスが使われている。
前提にあるのは落ちてくる前に取り除くこと
たとえば、役所の担当者が山間部において何らかの対策を施す必要があるとなったとき、まずは当該箇所を調査する。その際、斜面の調査時に最初に考えるのは、落下する可能性のある物体を落下させないことだ。これを「落石予防工」という。
落石予防工は、斜面に石等があった際に、転がることを防ぐために石そのものを抑えたり、取り除いたりすることを指す。手段はいくつかあるが、転がることを防ぐときには“ネット”のようなもので覆いかぶせる方法などがある。
石や岩が転がることを防げば被害は発生しない。そのため小林氏は「予防工は落石被害を防ぐ根本的な解決手段のひとつ」と話す。
落石予防工と同時に検討されるのが「落石防護工」だ。ここでさまざまなフェンスが登場してくる。フェンスの選び方は最初に「落石のもつエネルギー」が大きいか小さいかを判断する。次に「落石の跳躍高」が高いか低いかによって、どういったフェンスを使えば防護できるのかを決めていく。
「落石のエネルギーや跳躍高はコンピューターでシミュレーションして検討することもあります。当該の山間部の斜面において、どれだけの力を持ってどのような転がり方をするのかを判断していきます。
跳躍高は実にさまざまで、斜面の途中にジャンプ台のような部分があると、石が5メートル近く飛ぶケースも想定されます。もちろんそれ以上の場合もあります。そのため、綿密なシミュレーションを重ねていき、どの場所にどういった種類・高さのフェンスが必要なのか決めます」
最終的にどのフェンスを選ぶのかは役所の判断だ。極端な例だが、落石が発生してしまった際に、2メートル以下の跳躍で済む確率が99%ある。しかし、1%の確率で5メートルの跳躍が発生する可能性があるというシミュレーションの結果が出た。このとき、1%のために高さ5メートルのフェンスを用意するかどうかという話だ。
予算が無制限であれば5メートルのフェンスを作るかもしれないが、現実では予算に限りがある。なので、落石防護工でフェンスを設置しつつ、落石対象物を動かさない・取り除く落石予防工を施す、という両輪で我々を守っているのである。
余談だが、落下する石が2メートル以上跳躍することはシミュレーション上でもよくある話だそうだ。それも小石ではなく、人間の頭程度の大きさであったり、それ以上の大きな石(というか岩)が跳ねるケースだ。想像しただけでも恐ろしい。
落石を受け止めるためにフェンスは変形する
では、落石エネルギーが大きいときの対策で選ばれるフェンスにはどういったものがあるのか。そのうち、跳躍高が比較的小さいものを対象としたフェンスで特徴的なものを小林氏に紹介してもらった。
「『高エネルギー吸収型落石防護柵工』があり、そのなかで特徴的なフェンスはふたつあります。
ひとつめは支柱強化型柵。太い支柱がコンクリート基礎や地盤に根入れされ、自立した構造のものです。支柱には鋼管等が用いられ、鋼管内部は鉄筋などが配置され、さらにコンクリートを充填するなどして“曲げ耐力”を高めたものです。防護対象とフェンスの設置場所が近い場合など、スペースに限りがある場所で使われます。
もうひとつはネット強化型柵と呼ばれるものがあります。支柱強化型柵に比べて支柱は細いぶん、支柱と支柱の間にあるネットが伸びるようになっていて、その変形によって衝突物の落石エネルギーを吸収・分散させるものです。支柱強化型柵と打って変わって、防護対象とフェンスの設置場所を離せるスペースがある場所で使われています」
どのフェンスも落石などが衝突すると変形する。その変形をどれだけ設置場所が許容できるかによって選ぶフェンスが異なる。ネット強化型柵に落石が衝突すると、そのネットは10メートル程度伸びることもあるそうだ。裏を返せば、道路際に設置するなら10メートルの変形は許容できないため、支柱強化型柵を選ぶことになる。
実は、支柱強化型柵は日本が生んだ技術だそうだ。狭い土地ならではの落石の対策として生み出されたフェンスだ。一方のネット強化型はフランスやスイスなどアルプス周辺国発の技術。広大な山間部で設置されていることが多い。
それでは、支柱自体を強くしたものと、ネットを強化したフェンスがあるなら、それぞれの長所を組み合わせれば“最高のフェンス”を作れるのではないかと思った。だが、そうではないらしい。小林氏は「落石エネルギーの高いものに対しては、衝突物を“受け止める”のか“衝撃を分散させるのか”などを考える必要があります。衝撃を止めるための強弱のバランスがすごく重要で、あえて“弱い部分”を作ることで、そこに衝撃を逃がしていたりするんです」と説明してくれた。
フェンスを世の中に出すためには性能検証を突破しなければいけない
ここで小林氏から興味深い話を聞いたので紹介したい。
「落石エネルギーが高いものへの対策としてのフェンスは、国が定めた基準をクリアしなければいけない決まりがあります。要するに試験があります」
性能検証に関する実験方法および条件は以下だ。
項目 | 内容 | |
供試体 | 構造体の標準的外形寸法の実物大を原則 | |
スパン数 | 3スパン(支柱4本)を標準 | |
支柱間隔 | 任意としてよい ただし、供試体の延長が現地における最低設置延長 | |
実験方法 | 斜面滑走式、転落式、振り子式、鉛直落下式 等 | |
重錘形状、材質 | 多面体のコンクリートを基本(密度2,300~3,000kg/m3) | |
衝突速度 | 25m/s以上を標準 ※25m/s未満の場合、その速度が適用限界速度 | |
入射角度 | 阻止面に対し垂直を基本 | |
衝突位置 | 水平方向 | スパン中央 |
鉛直方向 | 落石の衝突位置を基本とし、実験精度等を踏まえ 鉛直高さ中央から最大衝突高さの間で設定 |
これらの項目や基準が設けられたのは平成29年12月のこと。いまから7年前に改訂された「落石対策便覧」で性能検証が厳格に定められた。
この背景には、落石エネルギーが高いものへの防護柵が乱立されていたことがあるという。さまざまなメーカーが“防護柵業界”に参入したことで、あいまいだった基準を是正するためにも便覧で統一された。
ただ、この試験の難儀な点は、試験環境を用意することにある。というのも、日本では基準は決められたものの、試験場は用意されていない。つまり、各メーカーが自分たちで試験環境を用意しなければいけない。
「試験をするための設備を用意するのには、お金もかかりますし、時間もかかります。
ただ、弊社ベルテクスが業界内において急速に頭角を現せたのは、この試験環境をいち早く用意したことが大きな理由になっています。
基準が定められる直前、業界内では『本当にルール改正があるのか』など疑心暗鬼の状態でした。しかし、ベルテクスでは『絶対に基準は必要』という考えが当初からあったため、すぐに試験環境の整備を進めました。当時、試験環境に対して先行投資したことが現在のベルテクスの成長につながっています」
ベルテクスの試験環境は千葉県にある。工場の中に試験場を建設したそうだ。工場にはクレーン車もあるため、フェンスを用意するだけですぐに性能を検証できる。「他社の多くは山間部に試験場を用意しているが、工場の中に試験環境を用意したことで移動コストや人件費も抑えられるなど、ベルテクス独自の強みがある」と小林氏は言う。
メーカー側からしてみれば、基準の明確化と基準を超えるための設備投資で当時は悲鳴もあっただろう。このような試験環境の手配と試験基準が参入障壁になっているようにも思える。だが、明確な基準があることで“有象無象”が発生することもない。試験および基準は、安心した生活を我々が送るための陰の立役者でもある。
フェンスが守るもの、そして限界と向き合う必要性
ベルテクスに取材をする少し前、台風10号が日本列島を襲った。国土交通省の発表によれば、土砂災害は133件あり、死者は3名にのぼる。
「愛知県蒲郡市の報道を見たとき、自然の力の前に人間の無力さを感じるとともに、ベルテクスでの仕事の意味を改めて考えさせられました。私が若いころ、当時の社長や上司と『本当に僕らは命を守れているのか』と何度も話していたことを思い出しました。
そのとき、『フェンスがなかったら、道路に被害が及んでしまって数日間通行止めになっていたかもしれない。その影響で困る人が出たかもしれない。でも、フェンスがあるおかげで道路への影響が“ほんの少し”かもしれないけど、抑えられていることは間違いない』と言われていたことも思い出したんです。
私たちのフェンスで防げること、守れるものは限られているかもしれません。ただ、それは決して無意味なことではない。私たちはこれを信念に抱いて日々フェンスと向き合っています」
今回の台風10号によって発生した土砂災害は、防ぐことが非常に難しいケースと小林氏は話した。というのも、大量の土砂が一気に押し寄せてくるため、流れてきた土砂が積み上がってフェンスの高さを超えたり、フェンスの耐荷重以上の衝撃が来たりするからだという。
「私がこの仕事をやっていて言うのは違うかもしれませんが、“フェンスだけ”で災害をすべて防ぐのは難しいと思っています。
たとえば、今後は斜面そのものやフェンスにセンサーを設置して、災害が発生しそうになったら何か合図を出して近隣の人に警戒を促すなど、そういった仕組みや技術は必要になってくるかもしれません。
ただ、そもそも警報が発令されたら安全な場所に避難するべきです。フェンスを作っている側の私たちも必ず避難します」
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稚拙な表現かもしれないが、取材を通して「フェンスへの見方」が変わった。単なる柵ではなく、フェンスには並々ならぬ技術と想いが込められている。
日本においては本当にさまざまな場所にフェンスがある。小林氏も全国各地を飛び回っているそうだが、ヘリコプターに搭乗しないとたどり着けないような離島や、滝を登った先にある場所などにも行く機会があったそうだ。
本稿冒頭で触れたように、役所の人が「ここは落石などの可能性があるから対策をしなければいけない」と担当行政区域をくまなく調査している。
起きるかもしれない、まだ起きていない事故に対しても日本は人もお金も投資する。我々の生活のうち大小の規模や影響はわからないが、フェンスによって守られている部分があることは間違いない。